本人紹介
本名:若林恒夫 / 商学部中退

東京都墨田区出身

本所の老舗の天婦羅屋の一人息子、当然家業を継ぐべきところ親の期待を裏切って1968年(S43)十代目金原亭馬生に入門、前座名は金原亭駒七。

昭和47年に二ッ目になった時、以前から気に入っていた名跡・六代目五街道雲助を襲名。
1981年(S56)真打。 現在に至る。 前座時代から、将来を嘱望されていた。
円朝以前の江戸前の軽妙な噺を落語の理想とするが、円朝にも精力的に取り組みその分野では第一人者である。当人はその評価は自分の目的とは異なる評価だと良い顔をしないが、われわれはよくやっていると喜んでいる。
明大落研との関わり経歴
昭和41年に明治大学落語研究会に入会。金太、馬骨、雀志、その他名だたる先輩諸氏に鍛えられました。半端物のろくでなしを詰めて和泉家半六、その後、瓢六。2年になって和泉家和歌蔵。酒井和歌子が可愛かったのです。いざ3年になって落研の大看板になろうと云う時に単位が足らずほぼ留年が決定的になり、やむを得ず馬生門下に身を投じました。落研出身の噺家第一号であります。今でも還暦を間近にしながらシコシコとやりたいことを続けています。
本人からのメッセージ
明大落研は伝統的に珍芸好みではありますが、たまには寄席にも足を向けて下され。
私の連絡先
 
私のホームページ
http://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/
http://www.rakugo.or.jp/shin49.htm

 
 
 


本人紹介

本名:三宅裕司 / 昭和48年経営学部卒

東京は神田の生まれ、明高から明大とチャキチャキの明治育ちである。高校時代からバンドを組みドラムをひっぱたいていたが、母上が踊りを教えていたこともあり芸事には贅沢な環境で育った。したがって、三味線もひくギターも奏でる落語は今でもうまい、とにかく何をやっても器用な男である。

大学では落語研究会に入っているかたわらバンド活動にも精を出し、現在はSET(スーパーエキセントリックシアター)という劇団を率いている。彼個人の芸能活動だけをやっていれば楽に生活をできるものを、わざわざ気苦労の多い劇団を経営しているところにかれの演劇にたいする思いが感じられる。体に気をつけてガンバッテ欲しいと思う。(小川和彦)

明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
 
私のホームページ

http://www.amuse.co.jp/artist/yuji_miyake/profile.html

三宅座長の仕事部屋
http://www.set1979.com/


 
 
 


本人紹介

本名:若林恒夫 / 商学部中退

東京都墨田区出身

本所の老舗の天婦羅屋の一人息子、当然家業を継ぐべきところ親の期待を裏切って1968年(S43)十代目金原亭馬生に入門、前座名は金原亭駒七。

昭和47年に二ッ目になった時、以前から気に入っていた名跡・六代目五街道雲助を襲名。
1981年(S56)真打。 現在に至る。 前座時代から、将来を嘱望されていた。
円朝以前の江戸前の軽妙な噺を落語の理想とするが、円朝にも精力的に取り組みその分野では第一人者である。当人はその評価は自分の目的とは異なる評価だと良い顔をしないが、われわれはよくやっていると喜んでいる

受賞暦
昭和58年「NHK新人落語コンクール」最優秀賞
昭和59年「国立演芸場花形若手落語会」金賞
昭和60年「第5回国立演芸場若手落語会金賞銀賞の集い」大賞 「味噌蔵」
昭和63年度「にっかん飛切落語会」若手落語家奨励賞
平成1年度「にっかん飛切落語会」若手落語家奨励賞
平成8年「文化庁主催51回芸術祭」優秀賞  「二番煎じ」
明大落研との関わり経歴
昭和46年明治大学落語研究会に入会。2ヶ月後に部室への近道の塀を
乗り越えようとして、おまわりさんに叱られ退部。
その後も卒業まで初代生田家楽橋に公私共に世話になる。
現在、鯉の恩返しか? 楽橋亭というの名前の落語会を開催している。
本人からのメッセージ
昔から貧乏で麦めしを食べていましたが、金が入る様になり、米と麦の割合が五分五分から
七分三分となり、いよいよ米100%の白いオマンマが食べられると思った途端、健康プームと
やらで、今度は麦だけでなく、ひえ、あわ、コーリャンなどまるで鳥のえさを食べています。
おかげで少し飛べるようになりました。
私の連絡先
 
私のホームページ
http://www016.upp.so-net.ne.jp/risho/

 
 
 


本人紹介
本名:角田博 / 昭和50年卒

「我が校には青白きインテリは必要ない」という学校紹介の文句に惹かれて明治大学商学部産業経営学科に入学。即日落語研究会に入部、以降ほとんど授業に出席せず落研と麻雀に明け暮れる。1年の最後に先輩の三宅裕司さんのおかげで下宿を追い出される。

昭和49年 大学に見切りをつけ立川談志に入門、落語家としてののスタートを切る。師匠より芸名「立川談Q」を頂き前座修行を始める。(談QのQはどうやらオバQのQらしい。)

前座修行と並行して参議院議員松岡克由の私設秘書として3年間参議院の議員会館に通う。昭和53年 二つ目に昇進、初代立川談之助を名乗る。古典落語に限界を感じ、三遊亭円丈主催の「実験落語会」に参加、グラサン、リーゼントの林家しん平の「ロックンロール落語」に対抗して金髪に染めて落語界の上田馬の助を名乗り「パンク落語」を始める。
明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
 
私のホームページ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dannosuke/profiile.pdf
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dannosuke/

 
 
 


本人紹介

本名:竹内照雄 / 昭和50年経営学部卒

富山県新湊市(現・射水市)出身

‘83年(S49)立川談志に入門、前座時代から名前は変わっていない。‘90年(H2)真打。立川談之助と落研では同期生であるが卒業後一時期演劇の方に行っていたので入門が遅れ、一門内では談之助や落研では後輩の談幸より後輩になるという面白い立場である。

入門したとたんに談志師匠が落語協会を飛び出すということが起こり、彼の将来はどうなるのかと心配された。談志師匠自身は「志の輔は私のテストケースだ」と言っていたが、あんな見栄をきって大丈夫なのかと思っていたところさすがに天才談志は先を見通していた。現在の彼の活躍はご承知の通り。しかもテレビその他で引っ張りだこの忙しさで、分刻みのスケジュールをこなしながらも高座を忘れず、毎月の独演会を続け毎年創作落語を発表する等その落語に対する真摯な姿勢には敬服する。(小川和彦)

明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先

立川志の輔事務所・有限会社オフィスほたるいか

〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-1-7ミツワマンション1002
TEL:03-5489-1680 FAX:03-5489-1681

私のホームページ
志の輔公式HP
http://www.shinosuke.com/

 
 
 


本人紹介
本名:高田正博 / 昭和52年商学部卒

東京都新宿区出身
‘78年(S53)立川談志に入門、前座名は立川談吉
‘84年(S57)二つ目昇進。立川談幸と改名
‘87年(S62)真打。

落研では小宮孝泰、渡辺正行、寄席文字の橘右門と同期生で、彼がクラブの幹事長であった。父上は刑事というおそろしく硬い家に生まれながら、どうしてこんな軟らかい息子ができたのかと思うが、芸風は一点一画もおろそかにしない楷書の芸風で、そこにいきなり軽妙なギャグが飛び込むので一層それが引き立つ。絶対的な彼のファンがついているのも納得がいく。彼の人柄の良さはOBの間でも信頼を得ている。
明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
TEL&FAX 03(3650)2570
Eメール t-dankou@d4.dion.ne.jp
私のホームページ
http://www.d4.dion.ne.jp/~t-dankou/

 
 
 


本人紹介
本名:渡辺正行 / 昭和52年卒
明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
 
私のホームページ

http://blog.golfdigest.co.jp/user/nabe/

なべや
http://www.nabe-ya.com/


 
 
 

本人紹介
本名:小宮孝泰/昭和53年卒(同期の渡辺正行が一緒に留年しようと言ったので卒論を出さなかったら、渡辺は無事卒業。お陰で1年留年)
明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
大学3年次に井上ひさしに憧れて劇団テアトル・エコー養成所に入所。すでに井上氏が在籍していなかったショックで正式入団後に1年で退団。渡辺正行・ラサール石井らと共に渋谷道頓堀劇場というストリップ劇場で、杉兵助を師匠と仰ぎコントの修行。「花王名人劇場」のプロデューサー澤田隆治に見出されて1980年TVデビュー。
1990年代からは、軸足を演劇の舞台に置いて活動中。2004年には文化庁文化交流史として渡英。イギリスで英語落語を広めてくる。

2年後輩の平松俊範さんがこんな一文を寄せてくれました。
落語から離れて何十年、けど小宮さんのお陰で、一年に一度くらいは小宮さん出演の名古屋地域での芝居を見る習慣ができた。

その中でも、2006年7月御園座、藤山直美、香川照之、小宮孝泰など出演の「妻をめとらば」与謝野鉄幹と晶子の物語では、事故が発生した。 会場がざわつき芝居は中断したが、大事には至らず藤山直美さんのアドリブですんなりと、再開できた。
与謝野晶子の人生も波乱万丈だったが、芝居途中の藤山直美さんや小宮さんらの芝居の立て直しもさらに良かった。 今後もこ小宮さんの芝居が楽しみです。
その後に一杯飲むのも楽しみにしています。(昭和54年卒平松俊範)
明大落研出身者は何年経っても、良い先輩・後輩であるということでしょうか。 (小宮孝泰談)
私の連絡先
名称 石井光三オフィス
所在地 東京都渋谷区桜丘町29-36徳力ビル204
電話 03-3462-1338
FAX 03-3462-1362
私のホームページ
http://www.loulan.org

 
 
 
本人紹介
本名:柿沼伸一 / 昭和52年卒
明大落研との関わり経歴
 
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
 
私のホームページ
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/umon/

 
 
 


本人紹介
本名:斉野茂 / 昭和61年卒

1964年9月4日生まれ、兵庫県西宮市出身。
明大落研との関わり経歴
1984年、商学部に入学。
もともと音楽畑で食べてゆこうと上京したところ、「落研に入れば『酒池肉林・もぉ〜どうにでもしてぇ〜コンパ』が週に3、4回開催される」という、子供でも騙されない嘘に騙されあっさり入部。生まれて初めて落語と出会い、欲しくもないのに“和泉家何やねん”の名をもらう。2年になってからは“10代目紫紺亭角生”を頂戴するも遊びが過ぎて2年間で4単位しか取れず、「スーパー芸人になったらぁ」と書いた退学届を叩き付け帰版。
1986年2月、月亭八方に入門し、“月亭遊方”となる。
20代は関西のローカルのレギュラーにも恵まれたりしたが30代に入るあたりで「創作落語の会」に参加、新作落語に開眼。
そして「落語は自分で創る!」と方向性が決まった1997年に初めて独演会を行い、その後も新作落語を創り続け、現在関西を中心に活躍中。定期的に行われる独演会も毎回枠にとらわれない趣向でファン層を広め、前回、前々回は文化芸術祭にも参加。「浪花LSD」という東京講演も8回成功させている。
持ちネタは日常ベースの爆笑エンターテイメント。カジュアルな口調とノリのいいやっ工藤勘が武器。日本各地で講演なども好評を得ている。
本人からのメッセージ
明大落研の皆さんへ。
僕は未だにパソコンがなく、携帯は何故か「落研通信メール」だけ受信出来ません。(不思議だけれどホントの話)。なので現在の落研情報はいっさい何もわからず状態で、また、東京公演も しばらくやっていませんし、とりあえず現在OBとして何も役に立てていなくてすみません…。どうかスーパー芸人になるまで、もおちょっと、もおちょびっとだけ待ってて下さいね。
私の連絡先
吉本興業 06-6643-1123
上方落語研究会 06-6644-3619
私のホームページ
http://u4.dyndns.info/

 
 
 


本人紹介

本名:佐藤英治 / 平成5年卒

1970年12月21日生まれ 愛知県出身

大学卒業後、『ザ・ニュースペーパー』の事務所で芸人の卵として武者修行しておりましたが、卵が孵化せずに98年からフリーに。現在は大道芸をベースにしたコメディパフォーマンスでお仕事をしております。ストリートやイベント、結婚式場などで笑いを振り撒いてます。
『集団田中‘98』というお笑いユニットに所属してまして、舞台出演の他、台本書いたり演出の部分も担当しております。集団田中のメインの出し物『環境戦隊ステレンジャー』は愛地球博に出演するなど“ご当地ヒーロー”の枠を超えて全国展開中です。

ツカダのコメント⇒⇒⇒時事問題の切れ味が冴えるスタンダップコメディアンの『松元ヒロ』さん。鹿児島実業高校の野球部出身で野球ネタは最高です!・・・『ヒロ・ヤマガタ』氏ではありません。

明大落研との関わり経歴
初代・和泉家味噌カツ魔人→初代・和泉家ピン子→六代目・紫紺亭六輔
平成2年入学。明治といえば野球、ラグビー、マンドリン、落研が有名ですが、一番敷居の低い落研を選んでました。落研に入れば何か有名人にでも会えるような気がして。
落語をしっかり教えていただけるのかと毎日通った部室では、ただ時間だけがダラダラと流れていきましたが、今思えばあれは「自主性を大切にしろ!」という先輩のありがたい教えだったのですね。
 愛知県出身という事で一年時は『和泉家味噌カツ魔人』を頂きました。二年時にはゴロの良さだけで『和泉家ピン子』を自ら命名。そして六代目・六輔を襲名いたしました。駿台祭・中日でのトリ噺は・・・何か長屋の噺だったような・・・。崩しすぎてよく覚えておりません。諸先輩方、すいません。4年間で覚えた噺は3つ。全て学祭用です。あとは甘酒屋とかの学内練習用の小噺。真面目に落語に取り組んではいませんでしたが、今になって古典落語の面白さに目覚めております。VIVA落語!あ、パントマイムも面白いです。
本人からのメッセージ
最近、駿河台にも明大前にも、とんと足を(お金も)運んでおりませんが、在校生の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?学祭もなかなか見に行けなくてすいません。
落語にパントマイムを取り入れてみたいという変な思考回路の持ち主の方、いらっしゃいましたら連絡下さい。お教えいたします。当方、パントマイム2段、黒帯です。
私の連絡先
eddie_shining@hotmail.com
私のホームページ
http://eddiegoodjob.hp.infoseek.co.jp/

 
 
 


本人紹介
本名:狩野徹 / 平成9年第二文学部卒

東京都渋谷区出身

画家になった方がいいような本名である。
立川志らく師匠の落語教室に入って勉強していたが‘98年(H10)正式に入門 2003年(H15)二つ目シラノというからどれくらい鼻が大きいのかと興味を持っていたら以外に
イケメンなのであてが外れた。
私は自分より顔の良い男は好きにならないことにしているので彼などは嫌いな
タイプであるが、私が入院して退院した時に祝いに駆けつけてくれたので悪く
言いにくいハンデがある。しかし、現在二つ目、まだまだ修行中である。
一回でも多く高座を経験することである。当人もそのへんは心得ていて
ギャラはセコくてもいいから、とにかく喋らせてもらいたいと言っている。
OBで飲食業をやっている人達から店内を提供してもらって勉強会をやっているが、
みなさんもどうか彼に噺をする場を与えていただきたい。
これからどれだけ大きく羽ばたくかが今が大事なときである。
明大落研との関わり経歴
昭和49年2月生まれ
平成6年明治大学文学部入学、同時に落語研究会へ入信。
「初代お茶の家メチシリン耐性黄色ブドウ球菌MRSA」と名付けられる。
そして同年に行われたOB会会場にて名跡の途絶えていた「角生」を
数名の「角生」OBから半ば強引に頂き、「十四代目紫紺亭角生」となる。
当時の落研としては珍しく落語に興味があり、大学三年の時に現師匠である
「立川志らく」の素人落語塾「らく塾」に参加。
そして4年の終わりに卒論を提出してすぐ入門。

平成10年3月立川志らくへ入門し「立川志ら乃」になる。
平成15年5月立川談志による昇進試験に合格し「二ツ目」に昇進。
平成16年10月NHK新人演芸コンクールの本選に出場。
現在は落研OBの経営する居酒屋「遊麗」や「横尾」で活躍中。
もちろんその他でも幾分か活躍中。
本人からのメッセージ
 
私の連絡先
メール
shirano@zmail.plala.or.jp
私のホームページ
http://www4.plala.or.jp/C-RANO/

 
 
 
  

本人紹介
本名:相原友則 / 平成13年政治経済学部卒

山形県山形市出身 埼玉県育ち

大学時代はご多分に漏れず酒におぼれた四年間を過ごす。
実家は離散家族。特技はアクロバット。

卒業後、就職活動も程ほどに、友人の誘いを受けて2003年9月、『劇団 東京ミルクホール』を旗揚げする。2005年3月には若手演出家コンクールにて最優秀賞を受賞する。同年7月にはWAHAHA本舗の舞台に客演し全国規模の活動も、ややはじめる。

以下、公演歴

2003年9月:旗揚げ公演『戦争だよ!!全員銃後』 於:中目黒ウッディシアター
2004年2月:第2回公演『名探偵明智小五郎VS悪の軍団』 於:中目黒ウッディシアター
2004年6月:第3回公演『大連☆純愛カーニバル』 於:中目黒ウッディシアター
2004年9月:イベント『牛乳祭』 於:新宿シアターブラッツ
       :お笑い『池田荘ライブ』 於:吉祥寺櫂スタジオ
2004年12月:第4回公演『パリっ子大集合!!バロン播磨の華麗なる冒険』
2005年3月:若手演出家コンクール2004参加作品『大連☆純愛カーニバル』
        於:下北沢「劇」小劇場
2005年6月:第5回公演『人情馬鹿衛生博覧会』 於:中目黒ウッディシアター
2005年7月:WAHAHA本舗『久本雅美の大天才サーカス』 於:新宿シアターアプルほか
2005年9月:イベント『牛乳二夜』 於:上野広小路亭
2005年12月:第6回公演『怪傑ハリマオ 双頭の虎』 於:恵比寿エコー劇場
2006年3月:記念公演『戦争だよ!!全員銃後R』 於:下北沢「劇」小劇場
2006年6月:第7回公演『ドバドバ!!東京五輪大作戦』 於:大塚萬スタジオ
明大落研との関わり経歴
昭和52年12月17日生まれ
平成10年明治大学政治経済学部入学、飛んで火に入る落語研究会入部。
「初代和泉家ドラえもんのび太のどぶろく体験記」と名付けられ、
名前をもらった晩の飲み会で記憶と財布をなくし置き去りにされる。
三年生より『三代目紫紺亭炎上』こ『三代目金閣亭炎上』を頂く。
四代目はまだいません。
平成14年卒業。
OB会には中華服で参加。
就職活動はしましたが、どこをどう転んだのか、上記劇団員として活動中。
客演したWAHAHA本舗の舞台がCSながら放送されたりと、
そこそこ活動しているかと思われる。
本人からのメッセージ
皆様の応援だけがたよりです。
私の連絡先
yenjo3@hotmail.com
私のホームページ
劇団東京ミルクホール
http://tokyomilkhall.web.infoseek.co.jp/